本日、仕事で京都一番の繁華街、四条通を東に向かい、花見小路通りから新門前通界隈を歩きました。
四条通は鴨川から東に祇園さん~三年坂~清水なども近く、小雨にも係らず観光客方々で
本当賑わっていました。
そんな中、ついつい目を見張るのが、ちょっと目を引くような柄の着物姿の方々。
海外の方も多いのでしょうが、日本の女の子たちも結構いるはず。
どうみても、どう考えても、ポリエステルでインクジェットプリンターで印刷した着物の方々が満載。
それが悪いと言っているのではないです。
着物に触れる最初のとっかかりはそれだっていい。
小袖や小紋のような遊び着と言われているようなウン万円もする着物、もちろんそれだけじゃ着れなくて、帯や長じゅばんや小物、その他諸々揃えればあっという間にウン十万円になる着物にそんなに簡単に手を出せない。
だから、観光しながら気軽に体験したい。ちょっと遊び心でためしに彼氏と着てみたい。
その動機ぜんぜん悪くないのです。
でも、いつの間にか雨後の竹の子ように出現した着物レンタルショップを価格や
モデルのかわいさだけで選んで、着物の文化も背景も、着こなす為に必要なコトの
一切に触れず、繁華街を闊歩して、ガイドブックに載ってた店に並んで、抹茶なんとか
食べて、それで本当に着物を知ったことになるのかな?そう思うのです。
今日歩いた新門前通りは通称骨董通りと言われるだけあって、本当に骨董屋さんが
ずらりを軒を並べていました。
門があって路地(ろうじと発音するらしい)があって、その奥にのれんがかかっていて
かろうじてお店と認識できる、タイムスリップしたようなお店もあれば、骨董屋なのに、
スカッと洋風のお店もあって、その中にきっと舞妓さんや芸子さん専用っぽい美容室とか
あって、都おどりのポスターなんかが貼ってある。
更に新門前前通りを東に行けば、見事な桜が川にかかり、路地は更に狭くなり、瓦やさん
があったり、小料理屋さんがみっしりと軒を並べていたりして、「こっちの方が、ずっと京
都じゃない!!」って四条通りを歩いている方々に教えてあげたくなってしまいました。
もちろん、こっちの方にはガイドブックに掲載されているコトやモノを「あれカワイイ」
「これオイシイ」といって消費する愉しみはありません。
こっちにあるには、愉しみを自分で見つけるために、路地がなぜできたのか、とか、
骨董の価格はこれで妥当か、とか、自分でも一皿(それこそ清水の舞台から飛び降りるつも
りで)気に入ったモノを買ってみるとか、自分で投資して、見つけてゆくしかありません。
しかもその投資には確実なリターンがあることは判っていても、経済的リターンとは限ら
ないというリスクまでありますが。
ただその投資は、其々の人生によりくっきりとした、消えない楽しみを残すことができる
でしょう。
着物も同じで、単に柄がかわいい、価格が安い、着てみたかった、から一歩も先に進まな
い興味関心だけでの満足では、あまりにもったいないのです。
着物と帯の柄の合わせ方、着物の柄の意味、着こなし、歩き方、重心の置き方、マナー
などなど、大切なことを教わらないでいれば、機械的な着つけでも満足かもしれません。
この着物ブームは、着物を着る人のすそ野は広げましたが、すそ野だけが拡張し、
頂点は低く抑えらたまま~という、そんな印象を強く持ちました。