今の若い人はかって「紳助&竜介」という一世を風靡した、
漫才コンビがいたことを知っているのでしょうか?
司会者、MCとしての島田紳助はしっていても、漫才コンビの紳助・竜介は
知らないと言う方、多いのではないでしょうか?
私は現役で、明石さんまがはじめてMCを努めた、それまで若い人向けの
番組と言えば、さわやか青春路線しかなかった時代、「だれがカバヤねん」と番組に今は私語となった「ヤンキー」そのままのつなぎで登場した画期的な漫才コンビ「紳介・竜介」に目が釘付けになった世代です。
(ちなみに「だれがカバヤねん」でわたしの心をわしづかみしたのは、明石さんまでも、紳介・竜介ではなく、番組タイトルと同名のロックンロールグループ「だれがかばやねん」のボーカルダンシング義孝でした?)
その後、漫才ブームの到来とともに、本当に一斉を風靡した紳助・竜介は1985年に傍目には売れている真っ最中に、解散。
紳助はその後、司会者・MC、マルチタレントとしてテレビ界へ転身。
若い方にとってはバラエティーの司会者・MCという印象の方が強いかもしれませんね。
しかし彼のスタートは間違いなく漫才です。
それも緻密に緻密に自分を知り、時代を読み、身近なライバルを研究し、顧客を決め、「教科書」を創り、その検証期間を決めて臨んでいたのです。
これを、マーケティング的に言い換えると、
自分を知る=強みを明確にする
時代を知る=トレンド
身近なライバル=競合分析
顧客を決める=顧客セグメント
教科書を創る=仮説をたてる
期間を決める=期日を切ってやる決める
このことを、私は偶然FBのタイムラインで流れてきたYouTubeで話している紳助本人の動画で知りました。紳助凄い!
暴力団との交流が原因で芸能界を引退した紳助の情報はもう入手できないんだろう、と思っていたら、ちゃんと書籍とDVDが未だ販売されていました。
書籍とDVDを見て、新たに発見したことがありました。
彼らの漫才はバタバタテンポよく、ドタバタもあり、アドリブも取り入れて進んでいる、当時殆んどの視聴者はそう思っていたと思います。
あの絡みが緻密な計算の上に成り立っていたとすると、10代だった紳助の思考力と才能のもの凄さと、紳助を信じ必死で付いて行った竜介の努力は如何ほどかと、感動を覚えます。
1977年デビュー以前にたてられた紳助の戦略は、ビジネスモデルとして現在にも充分通用するものなのです。
明日に続きます。