会社概要

社名
株式会社オフィスやまもと

代表
代表取締役 社長 山本 容子

所在地
京都府綴喜郡井手町井手柏原 銘木カフェ志木2階コワーキングスペース

開業
2014年4月

経歴

京都府の中部の城下町亀岡市で誕生。父の転勤と共に母方の実家のある京都府南部の町井手町で育つ。関西大学社会学部出身。大学生協書籍部の店長を経て、地元井手町商工会の経営支援員として勤務。商工会では、融資業務を得意として小口融資でほぼ毎年2億円余りの融資あっせん業務を行なう。その後、広域商工会、京都商工会連合会を経て、京都府よろず支援拠点コーディネーターとなる。2017年~2019年はチーフコーディネーターを務め、創業支援融資は100%全額斡旋債務超過企業を半年で黒字転換。年2100人以上を集める創業セミナーをコーディネートする。年間相談件数は6年間コンスタントに450社/年を継続する。

独立後、コロナ感染症の発生の年チームで小さな会社の再建案件にかかわり従業員50名全員と面談。人事評価制度を提案するも頓挫。その後知人がM&Aで購入した会社の雇われ社長となる。わずかな期間で社員の離反と株主との決裂を経験する。最後までかかわりを持ってくださった方々との関係を整え代表辞任。

その後マネキャリ手帳と出会いトレーナーとなる。これまでの経験とマネキャリ手帳を目標達成ツールとして活用した「お金に強い女を創る講座」を202310月リリース。現在3期を募集中。資金をまわすことに目が行きがちな経営者に対し、人生計画と事業計画をセットで作成。経営者個人の資産形成と小さいから勝てるランチェスター戦略を取り入れた1位づくりを伴走支援する経営参謀として、オンラインで経営相談に対応している。



決算書の数字から見えてくるもの

経営者の方のご相談に乗ることを始めて約30年、いつもお金と向かい合わせになる経験をしてきました。最初は地元の小さな商工会で、数百万円の小口融資の斡旋をするところから始まりました。その後、京都府商工会連合会で経営安定特別相談室長として、毎日のように様々な決算書を見させていただく経験をさせて頂きました。そのプロセスで、決算書を3期分拝見すれば、会社成長の物語を感じられるようになりました。あるいは、決算書を見ればその年度社長がどんな”感情”を抱いて過ごしたかがなんとなく感じられる、ようになりました。資産が多いことが一概に良いことではなく、経営者の心の詰まりや固定概念が資産の中に隠れていることもありました。相談室に持ち込まれる決算書には、どこか課題が隠れていました。決算書をみれば、経営者の方が、どこに心を痛めていらっしゃるか、どこを開き直って過ごしていらっしゃるかが、なんとなく透けて見えるようになりました。経営者であるかぎり、決算としてまとめられた数字から逃れることはできません。その改善は日々どれだけ数字を意識しているかにかかっています。

そして忘れてはいけないことは、その数字は過去の結果であり、これからの土台ではありますが、未来も同様の結果をもたらすものではないということ。経営者の人としての価値と結果としての数字は全く関係ないということです。

 

私とお金の原点

ピカピカの10円玉とお金のビリーフ

3歳になるかならない頃に、私を溺愛する祖母からピカピカの10円玉をもらい、ワクワクしながら、駆け込もうとした駄菓子屋さん。入ろうとした途端、入り口の溝に10円玉を落としました。絶対見つけてひろわなあかん!お母ちゃんに怒られる!と必死で、緑色の苔でぬめっ溝の中に指をいれて探したのですが、10円玉は見つからず、泣くのをこらえて、家に戻りました。「10円ちゃんおとしちゃってん」ここで泣いたらアカン、そう思って明るいトーンで祖母と母に報告したところ「この子はお金を粗末に扱って!」と日ごろから何かにつけて、私にお金を与え甘やかす祖母のことを快く思っていなかった母の怒りが、爆発しました。明るいトーンで報告したけれど、すでに十分お金を落とした自分を責めていたところへの母感情大爆発。惨めな気持ちでもういちど溝の中に10円玉を探しに戻りました。

6歳までの金融教育が、その後のお金に対する信じ込みを形成すると言われています。この経験で、「ようこmore thanお金」 私よりお金の方が価値がある。そんなお金のビリーフ=信じ込みの「種」が私の潜在意識の中に沈み込んでいったように思います。もちろん、母はそんな教育をするつもりはなく、未処理だった祖母との葛藤を私に向けただけのことです。

お金のビリーフを思い知る

コロナ禍で、「経営の原理原則」も、「福祉事業の勘どころ」も、「わかっている」、なおかつ「M&Aのプロ中のプロ」という方と一緒に事業を行うことになりました。直前に小さなターンアラウンド案件でチームメンバーだった方で、互いの人柄も考え方も手腕も理解した上でのことでした。
ところが同じ箱に入った途端、言葉が通じなくなり、瞬く間に事業は崩壊に向かって走り出しました。事業をより良い形で維持しようしたその行動のすべてが真逆でかみ合わず、最終的に彼がとった行動は、エリートを自認する人がとる行動ではありませんでした。唖然としながらも、現状を受け入れ残されたすべての処理を担い、なにもかも失くしました。マネキャリ手帳と貯金ゼロでも、お金強い女になれる本に出合ったのはそんなタイミングでした。

貯金ゼロでも、お金強い女になれる本」で、お金のビリーフ=信じ込みという考え方を知りました。自分の価値をお金より上にもつか下に持つか。「自分more thanお金」というビリーフを持ってしまえば、自分の価値は、お金の多寡や所有企業の価値の高低によって左右されるはかない存在になってしまう。そうすると所有する企業の価値が下がる=自分の価値が下がる。「M&Aのプロ中のプロ」を自認する方は、その恐怖に基づいて行動されたのでした。長く私を苦しめていた、自分のなにが彼のようなひとを「引き寄せたのか」その問いの答えが、ここにありました

お金に強い女になる

この出来事は、3歳のあの日もった思い込みの種、「容子more thanお金」という信じ込みをもう手放すときだと、教えてくれているのでしょう。お金に強くなるとは、損得勘定で目先のお金や売上を追うのではなく、お金は自分の価値観を実現するためのツールだから大切。お金は企業で言えば経営者とそこで働く人々が創る価値創造を実現するツールだから大切なのです。この順番を間違えないこと。 いまはそう言いきることができます。 

現在、オンラインで不定期に開催している無料セミナーと個別相談。またはマネキャリ手帳ライフビジョンコーチ。そうした折々に「だれにも相談できませんでした」と苦しい胸の内を話してくださることがあります。私の仕事は一貫してそうした方々のごお話をとことんお聴きしながら、可能性を見出し勇気をもって新しい道に進まれるプロセスを伴走することでした。目先のお金、目先の売上に振り回されることなく、お客様をよく知り、価値を高め、適切な価格で提供する。それがお金に強い女、お金に強い経営者が本当にすべきことではないでしょうか?

 

 

お金には色がある

たくさんの会社さんと出会い、お金を見ることで身に染みて感じたことがあります。
それは、お金は「何色にでも染まるんだな」ということ。

お金は、どんな思いでいただき、使うのか、その扱い方次第で色が変わるのです。
どこか詰まりがあれば濁った色になります。

決算書を拝見することは、事業における詰まり、色の存在を知ることです。
その詰まりの根本を紐解き、綺麗な清色にするということが、まず第一段階。
次に、未来はどんな色にしていくのか、ビジョンを正しく見える化すること。
そして、ビジョンに向かって経営・行動を伴走することで物語を次へ進める。

わたしのお役目

あの日、母はわたしにお金をあつかう資格がないと教えようと思ってあんなに怒ったわけではないのです。
私が、出来事の中から「罪悪感」という感情を選び取った、ただそれだけのことでした。
お金というものの価値は、無色透明の目に見えないものです。
ただ、お金にかかわる人によって、こんなにも色が変わってしまう。
だからずっと怖かったのです。

経営コンサルタントとして、お客様と対話することは、経営者の方がこれまで生み出してきた価値を再定義し、新たな物語を紡ぐこと。

それは、わたしにとっても、人生という物語を再定義してゆく営みで、今もその真最中です。

経営コンサルタントとしてのビジョン

仕事は売り上げや収入のためではなく、その先に実現した世界で、お客様に愛を届け、お客様を幸せにするためのもの。
そうであれば、どんなに規模が小さくともそこに誇りと輝きが生れ、働く人も幸せになる。
そんな世界が広がることが私の願いです。