整理とは捨てることなり。
これは、トヨタ式生産システムの定義です。
では、何を捨てるのでしょう?
ゴミは躊躇なく捨てられますね。
食品関係のように、賞味期限や消費期限、腐る、痛むが、はっきりと
目に見える形で、峻別できるものも、捨てられますね。
問題なのは、紙類=請求書・領収書・役場からの案内、会社からの通知、
子供関係の書類、医療関係の書類などなど、個人でも法人でも、ちょっと待って・・・と
思案し、躊躇されることも多いと思います。
事業を営んでおられるのであれば、更に躊躇されるのが、
在庫、仕掛品ではないでしょうか?
「いつ、それ、使いますか?その時、使えますか」
時として、在庫という隠れ蓑の中に、不良品や、廃盤の商品などが
鎮座してることがあります。
かっての生産過程でどうしてもできてしまった、部材の切れ端
かっての大流行で仕入れすぎた商品
いつか使えるかも、役に立つ日が来るかも・・・
倉庫の奥にはそんな在庫がびっしり。
今月仕入れて、整頓して商品を置く場所を作れない。
通路の半分を出荷されることのない製品で埋まっているが、
「風景」になってしまい、問題意識にも登らない。
一つの不良在庫が、ほんの数ヶ月分の過剰在庫が、
ほんの数日のつもりの仮置きが、きっかけとなり、雪だるまのように堆積します。
「いつ、それ使いますか」「その時使えますか?』という問いに対し。
「いつか使えるかもしれない・・・」
「捨ててから、あ!あれ捨てなければよかったってことが無いようにしたい」
そんな言い訳のオンパレードが始まります。
いつか使える、は執着だと気がつこう。
私たちの生活は何もかも、飽和状態にあります。
流行とは言えないぐらい変化のスピードは速いのです。
そして同時にかってないスピードで人が減り続けています。
かってのように、単一製品を大量に消費する社会では無くなりました。
「いつか使える」という悪魔のささやきで、モノを取り置くのは、
過去への未練です。
「いつ、使うのか」という問いに対して、
明確な答えがないのは、自社が何を付加価値として創造してゆくのかが、
明瞭になっておらず、曖昧なまま、過去に執着している状態です。
捨てることができる=望む未来を呼び寄せる力
捨てる、という行為が可能になるには、
残すモノが明確に決まっているからできること。
残すモノが明確であるとは、これから何を作ってゆくのかが
明確であるということです。
捨てて、半年後その在庫にオーダーがきても、
「捨ててしまいもったいないことをした」ではなく、
「捨ててよかった。今更後戻りしたくない」になります。
整理=捨てること=必要なものが明瞭=望む未来が明確
整理・整頓・清潔・しつけ・掃除を
この一つ一つをたかがと軽視し、それ以外の技術で勝負と言えるほど、
ビジネスは短期戦ではありません。
「整理ができないとは、何が自社にとって必要かが分かっていない。」ということです。
どんなに業績がよくても、整理・整頓・清潔・しつけ・掃除の手は抜かず、
事業が停滞している、自転車操業でバタバタという時ほど、
整理の時間を取ること。
社内に不穏分子がいるかも・・という時でも策を講じたりするのではなく、
モノの整理を徹底する。それから整頓と掃除。
これだけで、随分と新しい世界をみることができます。
本当に。