33,000円で感じた有りえない幸せ。

昨日、8年間連れ添ったペットを看取りました。

名前はマーシャ。ベンガルネコの血統書までつけて、飼うことが叶わなくなった譲渡先様から譲り受けました。その時すでに7歳。人間でいえば中高年~シニアと呼ばれる年齢だったそうです。そんな猫年齢に関係なく、ジャンプ、ダッシュ、威嚇、更に猛ダッシュする元気な子でした。

年末に、なんだか吐き戻しの回数が多くなった?と思い動物病院に連れてゆくと、余命宣告を受けました。思いもよらぬことでしたが、出来るだけ穏やかに、明るく、何より普段通りの生活を心がけたのですが、坂道を転がるように衰弱が進み、宣告より早く、虹の橋を渡ることになりました。

早朝から痙攣がはじまり、それが落ち着くとしばらく、おだやかな時間をすごしそのご息子の腕の中で静かに動かなくなりました。

 

霊園は、その日のうちに予約でき、思いのほか礼を尽くしたご対応をいただきました。息子と二人で骨を拾い、職員さんの骨の説明を聞きながら、丁寧に骨壺に納め持ち帰りました。骨壺を抱え、息子が運転する車に乗りながら、ふと思いを馳せたのは、80年前12歳でたった一人白木の骨箱を渡された、叔父の体験でした。

私の母と、その兄である叔父は、戦時中、2人の母であり私の祖母の実家に学童疎開をしていました。その頃の祖母の実家は女性ばかり、中学生だった叔父はその家のたった一人の男子として、戦死広報が入った祖母の弟の遺骨を引き取りに行ったそうです。渡された白木の箱を両腕に抱えて歩くと、カラカラと音がして、なんだろうと思ったそうですが、家に帰って箱を開けると、石が一つ入っていたそうです。
戦死場所はフィリピン沖とだけ聞かされ、骨だと言って渡されたものは石でした。それでも曾祖母はその石を骨とし、息子のお葬式をあげたそうです。

 

ほんの80年前、人間の死はそんなふうに扱われていました。私たちは今ペットに対しても、お経を上げることができ、お焼香でき、骨の部位の説明まで丁寧に聴くことができ、納骨することができる時代に生きています。人類が始まって、ここまで動物を近しい存在として扱い、その死の悼み、時間もお金もさける時代はかってなかったと思います。また同時代であっても地球を見渡せがば、全ての国や地域で実現できている事ではありません。むしろできる国や地域の方が希少です。

今ココが平和だからこそ、できた慰霊です。時間軸も、空間軸も広げてみれば、こんなにも有難い=有ることが難しい、奇跡のような時間だったとかみしめることができました。
33,000円をお支払いしながら、ふいに思い出した叔父の骨箱の話から世界平和にまで話が広がりましたが、本当に有難い、平和な時代に生きていることに心から感謝したいと思いました。

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