息子の出張延長を支える「ママの人生」

一粒倍日で神吉日の今日、実家の母とお墓参りに行ってまいりました。
親戚は多くありませんが、お参りすべきお墓は多い私の実家。
田舎の共同墓地の中ですが軍人墓も含めて都合4か所のお墓に手を合わせてまいりました。
本当は80を越える母には実家でお留守番をしておいてほしかったのですが、「私も行く」「私はお前より元気や」と言い張り一緒に行ってまいりました。

はい、母の方が元気。
炎天下共同墓地内をぐるぐる移動し、戻ってきたときにはぐったりしている私。
経口補水液を飲みながら、「新婚さんいらっしゃい」を見ているのが精一杯。
かたわらで母はかいがいしく父の流動食を準備。
恐るべし昭和一桁の体力。
でも今夜は久しぶりに息子も帰ってくるから、夕食は私が頑張ってなんか作ろ・・・・と思っていたところ、「ピロン」息子よりLine、「8日か9日まで東京滞在となった」「マーシャ(飼い猫)は元気」って。

いやここで、残念がったらあかんでしょ

母一人、息子一人でうん十年。
正直最近、息子の夕食づくりは「もうええ」「めんどくさい」「私一人やったら外食する」です。
だから、これでええんです。

最近読んだ東洋経済オンラインの記事「子供部屋おじさん」がよみがえります。
この記事を読むまで全然知らなかった「子供部屋おじさん」「子供部屋おばさん」という言葉。
37歳過ぎて実家にいる息子や娘のことを指すそう。
「ひきこもり」の方とは違うのは、ちゃんと社会生活を営んでいて、男性の場合は年収が低いという理由だけでもないそうです。

その原因は、「母親のゆがんだ愛」とありました。
わからんでもありません。
実は弟がそうです。
なんども実家をでるタイミングはあった、なんなら瞬間的ですが、結婚話もあった彼。
都度、母親がなにか言い出し、なにか実家をでるのが立ち消えになり、適齢期をすぎ幾年月。
もはや「ご結婚は?」なんて聞けない年齢になっています。(;^_^A

子供が心配は、母が自分の心を見つめられないがゆえの、幻想

私も、「子供が心配病」、「子供のことが不安病」でした。
それは、子供と自分が分離できていないから起こる病。
実家の母をみていてよくわかります。

彼女は今日のように暑ければ、私に向かって「暑いやろ」と決めつける。
ちょっとでも疲れた表情を見せると「疲れてるやろ」。
なんていうか、主語が自分ではないんです。
他者への言葉かけなら「暑くないか?」「疲れてない?」だと思うのですが、~にちがいないと決めつけられる。
そして、常に自分が何かを提供する側に立つ。

私は、母のことは好き。
でも「暑いやろ」「疲れてるやろ」という決めつけには、常に「カチン」と来ていました。
母に自分のことのように私の内面を語られたくない。
思春期にはこんな風に言葉にして母に伝えることはできませんでしたが、本気で嫌でした。
だから、子供の中のだれより早く家をでました。
母のもつ自他一体感、境界線のなさが苦しかった。

子供が心配とは、お前のことを信じてないよ、というメッセージ

自分の母と自分の関係についてはいろいろ言えても、自分が息子にしていることが「みえない」。
だから、「母のようにするまい」と思うそのこと自体が母の土俵でしかない、ということに気付いたのは、子供がずいぶん大きくなってから。

さすがに、今回の出張や出張の延長ぐらいでは動じませんが、これでもし、来月からトウキョウ赴任とか言われたら…きっと絶対心配します。

ただその心配、むけられる側にすれば、「お前の実力は信じてないよ。」「お前はお母ちゃんがいないとなんにもできへんねん」というメッセージ。

息子がもし、本当にトウキョウ赴任になったら、学生でもないのにお金をだしてやろうとか、足りてないもの買って持たせてやろうとかが、頭をよぎるかもしれません。
でもそれは、違う。

それよりも、無条件の愛だけを贈るに撤するしかないと思います。
和田裕美の「ママ」のように。

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