盆の終りに思うこと…

今日はお盆の終り、京都は五山の送り火で先祖をお送りします。

若い頃読んだ本の一説に、「人間のあらゆる不幸の原因は戦争にある。」とありました。どなたの何という本かは忘れましたが、戦争とは、国と国との闘いだけではなく、日常の、「あの人が羨ましい、私も欲しい」、が嵩じて

「欲しい」「奪いたい」。そんな心が戦争のスタートなのではないかと思います。

昨日は、終戦の日。日本の敗戦が確定した日です。学生の頃の教科書には、「宮城に向かって泣く国民の」写真がありました。日本人は負けたことを申し訳なく感じているという意味のキャプションがついていました。全ての国民がそんな感慨をもっていた、と認識しがちですが、「敗北を抱きしめて」(著ジョンダウワー 岩波書店)によれば、これで戦争がなくなった、今日から夜も明るくしていられる、戦争に行かなくて済むんだと「悦んだ」庶民のエピソードも沢山残されているることの事でした。

確かに明日またどんな事態があるかわからない、緊迫した日々から解放されるとなれば、「ほっと」するのもごく当然だと思います。

ただ、身内を戦いで失った家族にとって勝ち負けは関係なく、哀しみしか残らない。

人間として生まれ、人になる。

その過程で言葉を獲得し、

自分の中の闇も言語化でき、

その姿を客観的に見ることができれば、

決して戦争には至らない・・・・。

そう考える私は、理想論者なのでしょう。また自分の現在を照らしても、すべて闇を照らせてはいません。

本で読んた知識を、知識一般として「暗記」するのではなく、知恵として、生き方という行動にまで落とし込み、より充実した人生を送ってゆきたいものですね。

 

そこにこそ、「成功」とか「引き寄せ」とか意識しなくとも、自然と願いが叶う流れがおこるように感じます。

 

今日は、お盆にお家にお戻りになっている、ご先祖様がお帰りになる日。私の生家では2代前のご先祖様が戦争で亡くなっています。私の祖母の弟にあたる方です。その母親、私の曾祖母が、息子を戦争に送り出すとき、駅までは行かず、家の門柱のところで「お前は決して死んではならぬ」と言って送り出したそうです。万歳三唱で戦地へ息子を送り出す、その場にはいたたまれなかったのだと思います。

その後、昭和20年8月15日を少し過ぎたころ、曾祖母の元に戦死広報が届きました。白木の箱に入った小石をもって、息子のお葬式を涙なしに取り仕切った曾祖母はその後、昭和39年まで生き、80歳を越えてこの世を去りました。

祖母の弟は、山本家「最後の男子」でした。その為私の父と母が、夫婦で養子となり、「山本家」を継ぐことになり、少しの期間だけ私は曾祖母とも暮らしました。気丈な曾祖母を知る私は、彼女が息子を見送った門柱に立つと、今もその時の曾祖母の哀しみが残っているような感覚を持ちます。

昭和19年の冬、30歳を超えての徴兵でした。

今、空から爆弾が落ちてくることもなく、息子を戦争に取られることもない、日々が過ごせている、ただそれだけでありがたい。

その幸せをかみしめて、今日も素敵な一日をお過ごしください。

 

第二次世界大戦中日本は、どんなに勝利を祝って、ちょうちん行列をしても、バンザイで兵士を送り出しても、勝つことはできませんでした。それは、正確な報道がなく、事実を知らされていなかったとしても、30歳を超えた民間人まで、わずかな訓練期間で戦地へ送るなどという現実を前に、戦地に行かずとも残された家族も「この戦争は負ける」と潜在意識のどこかで知っていたのでしょう。

悦びの心が、成果を発するのは、現実的な効く努力を悦びの心で行っていてこそですね。

今日は、母と一緒に「おしょらいさん」となって実家に戻って来られているご先祖様をお墓までお送りしに行ってまいります。

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