なんにもないは、なんでもある~京丹後への旅~ 

昨日も仕事で京都丹後地域へ伺ってきました。他府県の方は京都と聞くと、五重塔・清水寺・金閣寺・舞妓さん、そして着物と京都市内のごく一部の重要文化財・伝統産業に気持ちが向きがち、ですね。ところがどっこい、京都には海もあれば山もある。明治維新の時の為政者の方々のどんな意図や思いがあってか、丹後の国、丹波の国と山城の国、そして禁裏御料をまとめて京都府という一つの行政区域を作りました。歴史も文化も違う、当然民俗的な習慣も、極端に言えば言葉の違う、土地と人がひとつにまとめられた、という感じです。

 

この景色

私には、涙が出るほど美しく感じられました。京丹後市丹後町、犬カ岬。

車でしか行けません。写真には映っていませんが右手に丹後松島があります。この日は、ほぼ丹後半島を海沿いに周遊したのか?と思うほどの距離を走っていただきました。網野町からこの場所までで、地元の方の案内で「近道」しましょう!ということで、海辺の道をずんずんと走り、ナビの案内より10分位早く丹後町につきました。

 

なんにも無いんだ、都会のやつはきれいごと言うな!

この地にたどり着く直前に地元の方が、自然の美しさ、豊かさをお伝えした私に対して、おっしゃった一言。その方の余りの熱に返す言葉を見つけられなかった‥のではありますが、やはり私は「なんにも無い」対して、「なんでもある」「可能性は百万倍」とお伝えできれば、と考えています。ただしそれは、「なんにも無い」というメガネを外さなければ、「なんにも無い」まま終ってしまう。

確かに、網野町から峠道を走れば、海沿いの道は、道路幅も狭く場所によっては車一台通れるのがやっと・・・的な道が続きます。左側は海、というか崖で右側は山、そして豪雨の影響で道路が少し崩れている箇所も。普段の暮らしではこれだけの距離を走ればコンビニの10軒やそこら出会うでしょう。けれど、そんなものはどこにもなく、ただ海が広がるばかり。

これを「無い」と言えば「無い」。禅問答みたいですが、ほぼ手付かずの自然は「ある」。便利さは「ない」けれど不便さは「ある」。地方・地域を豊かにと言えば、まだまだ従来型の公共工事で道を付ける、ダムを整備する、大きな企業を誘致する。(この海岸線の延長線には原発が集中しています。)という、田中角栄張りの発想を持つ方々が非常に多い。

出来ることに集中する。

なんにも無いんだ!とおっしゃったその方の発想も田中角栄の延長…のように私は感じました。「無い」を声高に叫び政治家や行政に何か「ある」を引き出すという発想ではもうどの地方地域も立ち行かなくなっている。私の言う「ある」は自分で出来ることを「やる」そうすれば、必ず「ある」

例えば、里山資本主義などで紹介され、今はもうすっかり有名になった周防大島のジャム屋さん。瀬戸内ジャムズガーデン

ご存じ方も多いと思いますが、若い夫婦はたった二人で、見よう見まねでジャムを炊き始め、離れ小島の周防大島の中でも景色は良いけど周りに人家もないスポットでお店を開店させました。綿密な事業計画、数値計画は立てられていたようですが、誰もが成功するとは思わなかった立地と発想。創業から約12年。若い夫婦が立った二人で始めたジャム屋は島外から人を呼び、この島にしかない柑橘類や果物・野菜を使った多品種・小ロット、小鍋で炊くジャムは、知る人ぞ知る一大ブランドに育ちました。

都会から二人にあこがれて就農する若者の続いているようです。

従来型の発想から脱却することで輝く

かってない人口減少社会・超高齢化社会だからこそ、自分たちの「地域の価値」に気付き、輝かせる。従来型の「無い」部分を埋めるではなく、「ある」に気付き、際立たせる。ただそれだけでどれだけの豊かさがなだれこみます。

それを可能にしているのが IT環境の整備というこれも見えないインフラがあってこそ。数年前なら情報発信に何十万もかかっていましたが、今や誰もが簡単に自らの価値を発信できる時代。そこには少しのテクニックは必要とされますが、本質的には本物は本物に、偽物は偽物として発信されています。というか、顧客サイドが何を受信し、消費行動、もしくは体験を選択するかは、結局その方の「感度」しだい、という時代になりました。

 

地元の方にとっては、遅い、本数が少ない、すぐ停まる(野生の動物とぶつかる。悪天候)な電車も、かわいい・乗ってみたい、素朴と評価する人もいる。ブラッシュアップすべきをお金のかかるハードはそう多くなくて、人の対応や見せ方などのソフト部分。

地方・地域を元気にとは、そんな知恵を醸し出す力とネットワークを創ることに付きるのです。

 

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