過剰な謙遜にひそむ、クレクレ星人

謙遜は美徳 は通用しない

本当に素晴らしい、作品を創られている方というのは、実はあまり謙遜されない。

だからと言って自慢もない。ただ淡々と精進を重ね、努力が当たり前なので、それを頑張っているともとらえていない人、ではないでしょうか?

「素敵な作品ですね」、「素晴らしい商品ですね」とこちらが、その価値を認めたとき、「イエイエイエ・・・」と手を振って、その評価、受け取りませんよ!というポーズをされるかた、昭和の時代、村社会で目立つことが嫌われる時代には、それが防衛にもなったと思います。私も昭和人間・目立ってはいかん!!という村社会を経験しているので、よく知っています。その方が安全なこと。だって、「イエ・イエ」と言っておけば、そのあとにつづくのは、「そんなことないですよ~、立派ですよ」のやはり誉め言葉が続きました。で、会話はなんとなく尻つぼみ。

昭和の時代・村社会ではそれでよかったのだと思います。当たり障りなく生きてゆく分には。

でも、「イエ・イエそんなことありません」と手を振って、頑なに自分に寄せられた称賛を受け取ろうとしない人って本当は、クレクレ星人なのです。もっともっと素晴らしい称賛をクレクレ!と静かに思っているのです。

心理学者のマズローによれば、人は、生存・安全・承認・尊厳・自己実現という五段階の欲求を満たしながら、成長すると言われます。自分の作品・商品が承認されることは正当な欲求が満たされた状態。謙遜は一見美徳のように見えますが、その欲求を自ら拒否する行為です。

クレクレ星人の孤独

欲しいはずの承認を拒否するのは、実はその程度の承認じゃたりない、もっと承認してほしい、もっと上位の人から承認が欲しい、そういう隠された欲求がうごめいているから。(本人も気付いていないと思います)

でも、身近な方からの承認を拒否し、それよりも大きな存在から承認を得られることはまずないです。

例えば、小学校で先生が、跳び箱3段飛びできたね。次の4段行ってみようと言われて、イエイエ僕はまだ三段飛び十分に飛べていません、三段飛びをもっとやります、と頑なに4段にも5段にも行こうとしないとしたら、その子はどんなに才能があっても、3段で終り。

3段上手だね、次は4段行ってみようと言われ、素直に「ありがとうございます」「次の課題に挑戦します」と自ら称賛を受け取り、感謝し次のステップに行動をむければ、更なる展開が開けてゆきませんか?

出来たことを威張る必要はない。でも、素直に受け取り、次を目指す。それが自分を成長させるし、お店も、事業も成長させる糧になる。

 

 

 

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