性格や意志ではなく脳の問題と思い込んでいたころ

日曜日のNHKテレビ「会話する臓器」実は見逃したのですが、ついに、臓器の本当の働きも解明された!という新鮮な驚きと、NHKが取り上げる、やっと身体と心の関係が、「脳」だけではなく、臓器という側面から科学的に説明されるようになったんだ~とという感慨を持ちました。

 

私は実に永く、「劇団員」をしていました。旅芸人ではありませんが、仕事をしながら、17時15分の就業後はピンポンダッシュで飛び出して、自主練習。土日は朝7時公園集合自主練習。9時公式練習開始。それまでに掃除して場を整えて演出家を待つ。

今思えば体育会的ノリでもありましたが、稀有な体験をさせて頂きました。

なぜ、「劇団員」を選んだのかと言えば、「からだ」と「こころ」の関係を整えたかった。

飛び込んだ当初は、言葉にできませんでしたが、自分でコントロールしょうと思ってもできない、原家族へのいら立ちや子供への過分な期待感。頭では押さえないとと思いながらも、日々ぶつかることも多く、職場でも、ママ友との関係も、家庭でも本当ギクシャクすることが多かった。

そんな自分をなんとかするには、心にだけ焦点を当てるのではなく、身体もに焦点を当てないとと、これも当時は言葉にできなかったけど、今思うとそんな気持ちをもって「劇団員」やってました。

 

その劇団では、お芝居の練習と並行して、心の勉強会もやっていて、メンバーがそこで、問題だと思うことを調べ発表していました。なんどか発表の機会があって、その時私が一番力を入れた!というか、一番やってて納得したのが脳科学でした。

人の性格や感情、心の在り方に精神分析という手法で光を当てたのがフロイト。

あらゆる心理学の基礎になっている感がありますが、正直、目に見えない心・精神をその人の発する言葉や動きで分析しようとする「理論」に私はついてけなかった。

その点、脳科学は、その人の問題を、神経伝達経路や脳内物質という「目に見える」(目に見えだした)物理的な存在に理由を求めていて、それがすごく救いに思えました。だってよりよく生きようと誰しもが思っている。それが、できないのは「性格」や「意志」だけの問題にしてしまうと辛く、自分を責めることが多々ありました。

だから、私にとって脳科学に触れることは一種の救いでした。

脳のない生物 脳だけの生物

脳科学を劇団の心の勉強会で発表し、その後ドンドン脳科学にのめり込む一方で、脳が全てではないというの知見も入ってきて、(当時まだまだネットの情報は今程溢れていなかったのだけど)アントニオ・ダマシオ博士のこともそのころ知りました。

そう、脳の無い生物はいるが、身体のない生物はいない。

この定義に触れたときは、目からウロコもの!!

心・性格・意思ではなく、脳と捉えていた私に、身体も心を創っている説には、正直参りました!という感覚。

そして、身体に対してなんと傲慢だったのかという思いを抱きました。

身体があって、脳があって、心がある。そのそれぞれに何が優位かではなく、そのバランスの上に私たちの人生が成り立つている。

こちらのブログで、「身体が情動を生み脳がそれを感情に変換する」を読んで、ああまさにそうだ、情動を貯めておくのは脳の中でも大脳に近い偏桃体だけれども、その情動を生み出すのは身体であって、偏桃体は記憶装置。

情動は、言葉を与えないと感情にならない、だから嫌な気分を感じてもそれを認めそこにどんな言葉を乗せるのかで、その後の展開は変わる。

久しぶりにアントニオ・ダマシオ博士の名に触れて、そして脳内物質の動きに加え臓器同志の会話まで明らかになる昨今。どんどん人生の質の向上に向けて世の中が明るくなってゆくように思います。

心・身体・脳を整える

一連の知見を思うと、ヨガが身体をじっくり感じながら、心を整えるのも、当然なのだなと思いました。

もしくは、身体を鍛えることに抜かりない方が社会的な成功を納められるのは当然かなとも、思います。

私が幼いころから身体が弱い子(クララか?)でしたし、親は成績が良ければ人生万能というタイプで育っているのですが、脊柱側彎症という原因不明の病気になって、身体にも気持ちがいくようになりました。骨が曲がっている角度そのものの変化はありませんが、ストレスを強く感じると骨というより身体がより湾曲することは経験的にわかっていました。

ただ西洋医学の医師には全く通じない世界でしたが。

湾曲度合いは、相当ひどいのですが、手術をしなかったおかげさまで身体を動かして、痛い場所もなく、劇団員時代も他の方と全くおんなじ筋トレや、発声練習をこなすことができました。特別扱いされず、人の間で過ごせたことはなによりありがたい経験が詰めたと今でも感謝しています。

身体が整うと心も整う。臓器が整うと脳も整い、心も整う。

脊柱側彎症が完治することはありませんが、心・身体・脳を整える為の取り組みは、たゆまずやってゆこうと思います。